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東日本大震災
東日本大震災被災地を見舞う
震災後、三週間が経過した4月4日・5日の両日、三陸各地の被災地を岡本理事長はじめ五名で、災害積立金から義捐金を持参してお見舞いに向かった。訪問先は、被害が甚大な「宮古」「釜石」「仙台」「南三陸」の四カ所。走行距離は試算上1100キロ。
右奧に、日専連宮古の事務局が見える。
(写真は共同通信の提供)
宮古地区の状況
車が走行できるように、津波で運ばれてきた瓦礫が道路の両側に山積みされ、街のいたるところで瓦礫の撤去作業が行われている。中心商店街の店舗は、軒並み2階部分まで泥水化した津波が入り、破壊された跡が生々しい。改めて津波の恐ろしさを強く感じた。
組合員の店舗では60店舗以上が浸水等の被害に遭い、5店舗は全壊、被災を免れたのは十数店舗。この災害をキッカケにお店を閉じるところもあるという。
日専連宮古の職員は幸にも全員無事。しかし、組合関係者家族を含んで五名前後が亡くなられてしまった。また、近隣の田老地区や山田町の状況はまだつかめていない。
向町にある3階建ての組合事務所は、1階は全滅で2階は浸水、3階のみが無事で備品などが山積みされていた。
宮古の津波の高さは、推定38メートルと言われている。ビルの高さ10階に相当する。 津波は第1波、2波は小さかったので、ものを取りに家に戻った人が、その後の3波・4波の巨大な津波に襲われてしまったそうである。防潮堤の上には船が乗り上げ、JRの鉄橋も折れた。津波が来る時、砂をシャラシャラしたような聞いたことのない音がしたそうだ。
宮古から釜石へかけて海岸線は見渡す限り何もない。この地域は70~80年ごとに大きな津波が来ているので、ハザードマップをつくり、それなりに備えをしていたつもりだが、それを上回る規模であった。逆に、そういった備えが十分であるという安心感が油断となり、被害を大きくしたのかもしれない。田老地区には二重の大きな防潮堤があったにもかかわらず、甚大な被害となった。水門が破壊され、高さ30メートル以上の所に物がぶら下がっている。
そんな中、宮古の商店街の理事会では、震災後3カ月を目標に、6月11日・12日の土日に復興イベントを実施する計画を立てた。商人の力強さを感じた。
なお、別れ際に宮古の役員に「南下して行けば行くほどその被害状況は激しくなる」と言われた。午後2時に宮古を去った後、その現実に直面した。
釜石地区の状況
国道45線を南下。寸断されていた道路も復旧していたが、凸凹が目立つ。まだ交通量は多くない。車窓から見る山田町、大槌町の被害状況は悲惨きわまりない。海岸側はもとより、山側も国道を乗り越えた津波により被害が及んでいる。倒れた電柱に漁で使うブイがからみつき、津波で流された車が街のいたるところに置き去りにされている。
市街地の中心にある日専連釜石の事務所は鉄骨造り。事務所の2階まで浸水し、1階はプール状態であったそうだ。すでに1階は片付いていたが、鉄骨がむき出しで天井はえぐられ、窓ガラスは無く、津波の威力の凄まじさが見てとれる。宮古と同じように、1波、2波の後、自宅に物を取りに帰り、3波の津波で3名の組合員と家族数名が亡くなり、不明者も多数いる状況。悲しみが増す。
被災から10日目になるが、1日約150人の遺体が発見されているが、損傷が激しく男女の性別さえわからない悲惨な状態。遺体は盛岡で火葬されている。中心商店街の店はほぼ100%が壊滅。
仙台地区の状況
仙台に入る。街は一見通常と変わらない。震災以来、百貨店は軒並み休業、もしくは一部のみの営業。海沿いにあるアウトレットモールも壊滅し、地盤の液状化も進んでいる。日専連ライフサービスの社員5名の家が津波で流された。組合店の店舗も一部崩壊したところもある。しかし幸いなことに、亡くなられたという報告はない。
5日時点では水、ガスは復旧しておらず、飲食店の休業が目立つ。昼時になるとコンビニには弁当類を買い求める客で大混雑する日々が続いている。北部の古いマンションなどは、倒壊の恐れがあることから退去命令が出されているところもある。
石巻地区の状況
中心商店街の被害状況は、宮古、釜石と同じく商店街の店は津波による被害をかなり受けている。瓦礫の山が商店街の各所につくられ、災害に遭った車がそのまま放置されている。漁港には、数艘の漁船が打ち上げられていた。
市内の日和山(ルビ・ひよりやま)公園から市内を一望すると、一部の建物は残っているが、瓦礫の原野と化している。太平洋の北上川河口に広がる石巻市、そしてその中州にあった建物もすべて流されていた。そんな中、石巻市出身の漫画家石ノ森章太郎氏の白色のドーム型をした萬画館は、その原型をとどめていて印象に残った。
道路は、ガソリンの供給にともない、一般車両の通行過多となり大渋滞していた。
南三陸の状況
南三陸市に向かう。南三陸会は、旧志津川会で組合員28名。地元商工会を通じて入ってきた情報によると組合員の安否については、亡くなった方2名、行方不明3名、確認中1名という状況。
組合事務局のあった南三陸商工会が被災したため、みやぎ北上商工会津山支所内に仮事務所を置いている。
各所の被害は、甚大であることは言うまでもない。しかし、南三陸町の街は跡形もない。警察署と病院の建物が形として残っているだけで、市内の建物はすべて破壊されていた。津波が街の隅々まで破壊しつくしている。酷いという表現以上に、改めて自然の猛威の前に、人間の力の弱さを感じた。
今回の地震では警報が出た後、30分という早い時間に大津波が来たので逃げ遅れた方が多かった。また、これほどの津波は想定できず、51年前に起きたチリ地震以上の津波は来ないという油断があったのかもしれない。車で逃げた方は、渋滞に巻き込まれ逃げ遅れるケースが多く、走って逃げる方が速かった。
南三陸町の人口は17000人で、400名以上が亡くなり、7000名が避難生活を余儀なくされている。そして、未だに約1000名の方が行方不明。今回の津波は波というより、空から爆弾を落とされたような衝撃だったという。
津波は海岸線から内陸部三キロまで入ってきた。志津川の町には川が三本あり、その川沿いに津波が奥まで襲ってきた。志津川のある地域では津波の高さが16メートルまで達し、チリ地震の3倍という想像を絶する高さであったという。
そのような中、主力の水産加工業では、有志が事業再開に向けて動き出そうとしており、「水産の街」にとって明るい材料で、その動きが街の再建につながればと期待をしているという。
一日も早い復興を願ってやまない
このような大惨事に直面し、本来ならば何から手をつけていいのか、われを失っているのが当然なのに、復興に向かって活動している姿には心が打たれるとともに、感銘・感動すら覚える。今後、同志としてできる限り支援していかなければならないと強く感じた。
また、今回訪れた各会では、「8月に青森で開催する『日専連全国大会』は、ぜひとも開催してほしい」と言われた。また、「自粛ばかりでは、日本の経済は沈んでしまう。日本経済を活性化させてほしい」とも言われた。
風向明媚で日本でも有数な観光地、そして魚の宝庫である三陸海岸各市の復活を信じ、この被災を乗り越え、新しい生活の確保、生活の基盤となる「まちづくり」のために、再び立ち上がることを期待してやまない。
そして国民一人ひとりができうる限りの「支援」をすることを忘れてはならない。
全国の同志会より多数の心温まる支援物資をいただいた。そして、全国同志からのお見舞いとして、災害積立金より被災した宮古、釜石、仙台、南三陸の四会へ岡本理事長より見舞金を差し上げた。
最後に、今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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