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東日本大震災で津波被害ゼロの大洗町の奇跡

緊急避難命令、緊急避難命令、大至急高台に避難せよ!

茨城県大洗町は、水戸市の東隣に位置する人口1万8000人あまりの町。漁業が盛んで夏には多くの海水浴客で賑わう。東日本大震災の被害は、岩手、宮城、福島ほどではないにしろ、茨城県にも甚大な被害をもたらした。また、茨城には原子力の研究開発施設もあり、福島の原発事故の風評被害で、年間500万人を超えていた観光客は激減してしまった。

表題の「緊急避難命令、緊急避難命令、至急高台に避難せよ!」は、2011年3月11日の東日本大震災のときに大津波警報が出された茨城県大洗町で、住民に避難を呼びかけた防災災害無線放送で流された言葉だ。

東日本大震災では、東北を中心とした沿岸部に巨大な津波が押し寄せ、多数の死者・行方不明者を出した。茨城県でも津波によって6名が亡くなった。大洗町では4メートルを超える津波に襲われたが、津波による死者は奇跡的にも1人も出なかった(地震により自宅で転倒した男性1名が死亡)。その要因は、津波の規模が東北に比べると小さかったこともあるが、「至急高台に避難せよ!」という、緊迫感のある命令口調による防災無線の呼びかけと、日ごろの防災意識の高さによるものと考えられる。 ooarai2 (2).jpg

 

震度5強の地震発生後 漁船は沖に3日間避難

大洗町はかつて経験したことのない震度5強の揺れで、地震発生直後にいち早く危険を察知した多くの漁船は、安全な沖に船を避難させた。

また大洗港にはフェリーも停泊しており、補給や清掃のために多くの地元作業員が大洗港の駐車場に車を止めてフェリーに乗船して作業をしていたが、危険を察知して、その人たちを乗船させたままフェリーは沖に避難した。

ooarai2 (1).jpg約10メートルの深さがある湾では、底が見えるほどの引き波が起こり、地震発生から29分後に第1波が到来したときには、湾内に不気味で巨大な渦がいくつも発生した。

そして地震発生から約1時間後に、最大波である第3波が襲い4.2メートルの津波を観測。大洗港の駐車場に止めてあった車はすべて流され、海から約700メートル離れた町役場、消防本部などは1階部分が冠水し、多くの家も浸水などの被害を受けた。大洗港には網などの漁具や車、瓦礫が堆積し、沖に停泊していた船はスクリューに網などが絡む恐れがあるため、3日間沖に停泊したままで湾には戻ることができなかった。

しかし、水や食料を補給しなければならなかったため、1艘だけがゆっくりと湾内に入り、食料などを詰め込み、再び沖に出て避難している船に配った。支給されたものは水とたった1個の握り飯だけだった。

初めて発令された「緊急避難命令」 ooarai9.JPG

一方、陸では非常事態を知らせるサイレンが鳴り響く中、防災無線により「高台の安全な場所に避難してください」と、何度も放送された。しかし、第2波の津波の後くらいから、呼びかけが一変した。「避難してください」から「避難せよ!」に変わったのだ。また、「緊急避難命令」という言葉も多く使われた。どちらも大洗町では初めて使われた言葉だ。

そもそも「緊急避難命令」という言葉は、法律・行政上は存在しないそうだ。「~命令」とした場合、"義務"が発生し、怠った場合はペナルティーが伴う。しかし、本来は避難をしなくてもペナルティーを科せられるものではないということで、その命令口調の言い方には異論もあったという。

しかしそれは「いったん避難した人が家に戻ることがないように」という安全を第1に考えた上司からの命令でそのような口調に変えたのだと、大洗消防本部の関根政起消防司令長は話す。

この命令口調で放送する指示は、最終的には大洗町長が決断したことである。その理由は、住民がどう受けとめて、どう行動すればいいのか、そこで迷いが生じないように命令口調に変えたそうである。そこには「1人の犠牲者も出してはならない」という強い決意がうかがわれる。また、放送にあたり特徴的な言葉を使うように心がけたという。

「より具体的に、そして身近な言葉でしゃべらないと住民には伝わらないし、大勢の方に分かってもらうためには、いろんな言い方をしなければ伝わらない」と関根消防司令長は話す。

結果的に、その命令口調と具体的な避難放送により「今回の震災は尋常ではない」と判断して避難したという方は多い。「~してください」では避難しなかったと思うという町民も実際にいたという。


6時間に及ぶ緊急避難放送

ooarai4 (2).jpgそして、その放送を担当したのが茨城県立消防学校の初任科教育を終えたばかりで大洗消防署に配属された増田裕太消防士、19歳。署に配属されたばかりで、現場に出場できなかったために防災無線を任されたそうだ。その増田消防士の手元には、ひっきりなしに放送するためのメモ紙が届く。最終的には六時間マイクを握りしめ放送しつづけた。

しかし、そのおかげで多くの人たちが避難することができ、最終的には津波による死者ゼロという結果となる。また、繰り返し鳴らされたサイレンも大洗町の特徴である。住民の方は「気味が悪くなるくらいサイレンが鳴って怖かった」と話す。でも、その恐怖が避難を後押ししたのだ。

外では消防隊員が胸まで水に浸かりながら避難誘導を行った。また、大震災から2日後の3月13日朝、火災が発生した。断水のため消火栓は使用不能。出火場所より約五500メートル離れた高台にある水道事務所内の貯水槽を水利源としてホースを延長、水圧を維持するため、消防団ポンプ車両にて中継隊形を取り放水して消火した。

最終的な被害は地震による死者1名、津波による死者ゼロ、行方不明者ゼロ、負傷者六名、家屋被害は2000棟を超えた。また、町域の約1割ともなる200ヘクタールが冠水し、電気・水道などのライフラインは停止し、道路の亀裂や通行止めが相次ぎ、町内17カ所の避難所には3392名が避難した。

さらに、多くの町民が高台の駐車場に車を止めて繰り返し襲った津波から避難した。


全世帯に設置されていた防災無線受信機 ooarai6 (2).jpg

また、迅速に素早く適切に避難ができた理由として、全7000世帯にすべて防災無線の受信機が配布・設置されたことがあげられる。設置の理由は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社JCOが起こした原子力事故(臨界事故)により、国内で初めて事故被曝による死亡者を出したことによる。

ooarai6 (1).jpgJCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し、核分裂連鎖反応が発生し、その状態が約20時間も続いた。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となったほか、667名もの被曝者を出した事故だ。

その事故を教訓に、原発事故をはじめとした緊急災害を知らせるための受信機が全世帯に設置されたのだ。

この受信機は電池でも作動し、平常時は町から1日4回の時刻を知らせるチャイムや音楽が流されるほか、昼と夜に1回ずつ各種の情報が放送される。 ooarai8 (2).jpg

その一方、消防本部からは火災や地震、津波などの緊急事態の発生、強風や熱中症などの注意報が放送される。

東日本大震災では、電気・水道などのライフラインが遮断されてしまったので、この放送こそが唯一の情報源であった。

ooarai8 (1).JPGまた、大洗町の防災無線放送は、ほかの自治体と比べて長時間放送したことと、同じ内容を繰り返し放送したのではなく、内容を刻々と変化させていたことが大きな特徴といえる。特に、津波が引いた後に「車で自宅に戻る人がいる」という情報が巡回先から入り、実際にそのような行動が見られたために「自宅に戻らずに、至急高台に避難せよ」という放送を流した。


われわれには安全・安心な日本を築く義務がある

大洗町では、今回の教訓により、ハザードマップのさらなる充実を図ったほかに、平成15年12月に町を19のブロックに分けて設置した自主防災組織の役割などについて再確認を行った。

そして、今後の課題としては、1人暮らしが増えつつある高齢者をいかに安全に避難させるかである。それには、警察や消防のほかに、地域住民の助け合いや絆が求められる。

東日本大震災は、かつて経験したことのないほどの大災害をもたらした。

その被害の大きさはわが国の社会、経済、そして世界中に影響を及ぼした。特に原発事故は世界のエネルギー政策のあり方を根本から考え直すほど大きな影響を与えた。

また、われわれ1人ひとりの価値観や生活にも変革をもたらした。持続可能な社会を目ざすうえで、震災や津波、原発事故など、社会の安全性にかかわる課題を白日の下にさらしたのである。

そして、この東日本大震災で悲しくも尊い命を落とした多くの方々に報いるためにも、安全で安心できる日本を築く義務がわれわれにはある。(広報部・宇田)