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職人が丹精込めた質の高い製品と優れた研ぎの技術で高い信頼を
札幌で愛されつづけている老舗店

宮本隆一氏 刃物専門店「宮文」(札幌会)
06mise-01.JPG聞き手 木村嘉代子

経済不況の長いトンネルから抜け出せないでいる北海道。札幌も例外ではなく、商店街や専門店は特に厳しい現実にさらされている。
札幌駅前の再開発により、2003年に駅周辺に大丸札幌店や駅ビルのステラプレイスがオープン。札幌最古の商店街の1つ狸小路商店街も、年々売上げが減っているという。
こうしたなか、狸小路で昭和2年から83年営業を続け、「さん」づけで親しまれているのが、刃物専門店「宮文」だ。
今回、3代目の宮本隆一社長にお話しをうかがった。

狸小路が様変わりしても昭和初期からここで営業

●1代目はどちらのご出身ですか?
宮本
 祖父は兵庫県三木市の出身です。三木市は日本剃カミ刀ソリの産地として有名で、祖父は日本剃刀職人の丁でっち稚奉公に入ったんですね。そして独立し、その後、東京に上京して仕事をしていました。


●どのような経緯で、札幌に開業されたのですか?
06mise-02.JPG宮本
 札幌の中島公園で北海道博覧会が開催され(大正7年)、祖父は日本剃刀を出品しました。当時、北海道にはあまり切れる剃刀がなかったようで、人気を博し、かなり売れたそうです。それで、〝北海道はいける、本州より売れる〟と札幌に引っ越してきたのです。
祖父の名は宮本文太郎で、そこから「宮文」の屋号をつけました。

●最初からのこの場所で開業したのですか?
宮本
 祖父は狸小路4丁目に店を出しました。僕もそこで生まれたのですが、木造の建物でしたね。昔は、住み込みの社員もいました。多いときには、6人ぐらいはいたと思います。僕が幼稚園のときに、中学を卒業したばかりの15歳の住み込み社員が3人入ってきました。兄貴のような存在ですよね。自分が社長になってからも、ずっと一緒に働きました。


●現在の店舗は狸小路二丁目ですが・・・
宮本 
ここに移転したのは2000年です。その前に、4丁目のコスモビル1階の狸小路側に店を構えていました。父の時代、1972年に札幌冬季オリンピックがあり、そのときに、木造の店舗を壊しました。昔の駅前通りはもっと狭く、木造の建物が並んでいたのですが、札幌オリンピックに合わせて、駅前通りの美化計画が実施され、幅員を36メートルに広げ、建物もビルにしたのです。店のあった場所には、地上7階のコスモビルが建てられ、店舗もその中に入ることになりました。ビルは360坪で、そこの商店がみなテナントとして入りました。


●そして再び移転された?
06mise-03.JPG宮本
 土地と建物が売りに出ていたので。ずっと狸小路で商売をしているし、「ここにビルを建てようか」ということになりました。コスモビルの店舗は賃貸していて、ビル運営の仕事もしています。4丁目で70年ほど、こちらに移って10年ということですね。


●札幌で刃物専門店は珍しいですね。
宮本 
包丁などを扱っている金物屋は、この近辺にも3軒ぐらいありましたが、全て店を閉めてしまいました。


●お客さまの層はどうですか?
宮本
 おかげさまで、根強いファンといいますか、寄ってくださるお客さんがたくさんいらっしゃいます。8割ぐらいが一般家庭の方で、おばあちゃん、おかあさんと、代々引き継いでいる感じですね。一番うれしいのは、「宮文さん」と呼んでもらうことです。親しみとか、愛着とか、そういうことの総称が「さん」だと思っています。ですから、テレビコマーシャルもやめられないんですよ。

●どういうことですか?
宮本
 「テレビやラジオで宣伝していますよね」とよく言われるのですが、せざるを得ないというか。CMをやめてしまうと、知名度が落ちるので。名前を知らないと、「宮文」という選択肢がなくなるわけですよ。たとえば、若い人が包丁を購入しようとするときに、どこへ行くかというと、デパートやスーパー、金物屋、ホームセンターなどです。専門店の「宮文」の名を知らなかったら、選択肢の中に入らないのです。

●コマーシャルの影響は大きいですか?
宮本
 そうですね。うちの父が、コマーシャル好きだったというか、テレビやラジオで積極的に宣伝を始めました。当時は、ほとんどの人が店の名を知っていましたね。僕が20代か30代のころです。ところが今では、知らないという若い人がかなり多いですね。経済状況が厳しくても、宣伝費だけは縮小しないようにしています。

使い捨ての時代でも刃物は研いで末永く

06mise-05.JPG●100円ショップで包丁が買える時代ですからね。
宮本
 100円ショップの包丁は、焼きが甘くて、研いでもすぐに切れなくなってしまいます。安い包丁を買い、切れなくなったらポイポイ捨てるのは、かえって高くつきます。普通の万能包丁は、20~30年使うことができます。一生モノなんですよ。


●なるほど。
宮本
 ある程度いいものであれば、1回研ぐと半年から1年近く使えます。研ぎ代は1丁700円ほどですから、1年で約1400円費やせば、一生いい切れ味の包丁を保つことができるのです。1丁5000円から10000円でしたらいい包丁ですから、20年間で研ぎ代の30000円をプラスしても、約40000円ですよ。それでずっと使えると考えれば安いですよね。


●使い捨てはダメですね。
宮本
 百貨店や金物屋は刃物の専門店ではないため、わからない部分もあると思います。専門店のメリットは、腕のいい職人に作ってもらい、メーカーから直接仕入れ、良い品物を安く提供できるところにあります。うちの場合は、新しい包丁でも研いでからお客さまに渡します。


●新品を研ぐのですか?
宮本
 普通は職人が作ったものをそのまま売りますが、うちは、お客さまに渡す前に再度研ぎを入れます。メーカーの切れ味と、僕らが研いだ切れ味というのは違うんですよ。


●そういうものなのですか。
宮本
 うちの自慢は、研ぎの技術です。研ぎ職人は50年選手で、今は若手もどんどん腕を磨いています。研ぎの技術が高く、「宮文の包丁は切れる」と評判なんです。他の店で買った包丁も研ぎますよ。
 職人は、誰であろうと、包丁を一生懸命に作っているのです。刃が欠けたからといってポイポイ捨てるのではなく、研いで使ってほしいですね。包丁の寿命を全うさせるべきです。一生懸命に職人さんが作ったことを考えれば、捨てられないですよね。


●刃物は全国各地から仕入れているのですか?
宮本
 そうです。たとえば、大阪の堺市とか。堺市は昔、日本刀づくりで有名な地で、その流れから、包丁などの刃物の産地になっています。寿司屋が使う柳刃包丁や、出刃包丁、菜切包丁など、堺市には腕のいい職人が多く、優れた刃物メーカーがそろっています。その他、東京や横浜など、いろいろなところから仕入れています。


●包丁には「宮文」と入っていますね。
宮本
 職人とは父の代からの付き合いで、「ここをこうしてくれ、ああしてくれ」と要望を出し、ここのオリジナルとして作ってもらっています。

 


新店舗でのスタートと大型店への出店がカギ

●社長を継がれたのはいつごろですか?
宮本
 平成元年に父が亡くなり、37歳のときに跡を継ぎました。僕は3人兄妹で、姉と妹がいます。祖父も父も、私を跡継ぎにするつもりだったらしいです。父の名前は保次で、「次を保て」という意味。僕は隆一で、「保ったのだから、今度は隆盛しろ」ということのようです。「一番に隆盛しろ」との願いを込めて、この名がついたのです。それほど隆盛していませんが(笑)。


●すぐにお店で働き始めたのですか?
宮本
 大学を卒業してから、東京の上野広小路の菊季(きくすえ)刃物店で3年近く働きました。その後、札幌に戻って入社しました。


●従業員は何人ですか?
06mise-10.JPG宮本
 自分も含めて24名です。本店の他に5カ所に出店し、各店舗でうちの社員が接客しています。琴似店は昭和60年からと一番古く、今はイトーヨーカ堂に入っていますが、以前は路面店でした。大丸札幌店には2003年から、東札幌のイーアスが一昨年の暮れ、一番新しいのが、円山のマルヤマクラスです。中央卸売市場にも店を出しています。魚屋や仕入れに来るプロ向けのショップです。大丸札幌店の売上げが一番伸びているんですよ。狸小路を含む大通側より、JR札幌駅近辺のほうが今は強いです。


●狸小路商店街の客足はどうですか?
宮本
 減っていますよ。一番ダメージを受けているのは、狸小路の本店です。この商店街の人通りが少ないわけですから。景気が冷え込んで財布のひもは硬くなり、お客さまは減り、ダブルパンチですね。狸小路は他の商店街に比べたら力がありますが、大通地区の景気は回復していません。寂しい話ですけど。将来に向けて、大通地区がどう再生できるかにかかっていると思います。


●対策はありますか?
宮本
 既存店の底上げと同時に、売れるところに出店するのが、店を存続させるためには重要になってきますね。札幌市内は六店舗あるので、今度は地方に出店を考えています。札幌での出店は新規のお客さまをつかむという点でいいのですが、互いに食い合ってしまう心配もあります。


●ところで、本店は広々して明るく、刃物専門店のイメージと少しかけ離れていますね。
宮本
 新しくするときに、内装を友人に頼み、「どんな店にしようか」と話し合いました。友人は「セットバックにすべき」と言うんですね。「高い土地だったのだから、セットバックするなんてもったいない!」と抵抗したんですよ。そうしたら、「それは違う。では、全国を見て歩こう」ということになり、2人で日本全国の店を見て歩きました。


●全国ですか?
宮本 
それは大げさですが(笑)。九州まで飛び、そこでレンタカーを借りて10日間ほどかけて北上し、東京から飛行機で戻ってきました。刃物屋に限らず、商店街や商業施設を九州から広島、名古屋などずっと回りました。そして、「セットバックするのとしないのでは違うよ」と教えられましてね。また、「うちのイメージは『木』だね」と認識しました。ただ、「変な『木』を使うとサウナみたいになる」という話になり、その辺もよく考え、今の店になったんですよ。


●こちらで扱っているのは刃物だけですか?
宮本
 昔は刃物と大工道具の両輪でやっていましたが、新店舗にしてからは、刃物に絞りました。


●それにしても、刃物の種類が多いですね。
06mise-07.JPG宮本
 刃物を深堀りしよう、と。お客さまが宮文に求めているのは、「やはり刃物だ」ということになったのです。「刃物を徹底的に追求しよう」「店内を全部刃物で埋めよう」「見ているだけで楽しくなる刃物店にしよう」と思って、思いきったディスプレイにしました。「宮文には刃物しかないけど、刃物はすごいぞ」という専門店でありたいですね。
 刃物に特化し、狭めて深める。それしか生き残る道はないと思います。「宮文に行けば、刃物のことは何でも教えてくれるし、何でもある。品質も高く、良心的な値段で安心」というので83年間やってきた、ということですね。


●今では、そうした専門店が少なくなってきましたね。
宮本
 父の仕事ぶりは、一言でいうと「愚直」ですかね。お客さまが万能包丁を2丁買いに来たときに、父が理由を聞いて、「それなら1丁で十分ですよ。研いで使えますから」と言って、1丁しか売らなかったというエピソードがあるんですよ。「2丁欲しいといっているのに、どうして1丁しか売らないの?」と考えますが、今振り返ってみると、目先の売上げではなく、お客さまとの信頼関係を大切にしたのだと思います。「あそこの店は、親身になってくれるよ」という姿勢が信頼されて、「宮文さん」と呼ばれて長続きできる。
 父は何も言いませんでしたが、身をもって教えてくれたと思いますね、「正直に」「親切に」「一生懸命に」という商売の方法を。祖父も父もそうだったので、自分もそうでありたいと思っています。

まずはお客さま満足を先代に学ぶ商いの基本

●初代も2代目も、このお仕事がお好きだったのですね。
宮本
 祖父も父も、死ぬまで働いて、死ぬまで社長でした。祖父は87歳、父は74歳で亡くなったのですが、それまで元気で働いていたので、そういうのにあこがれますよね。祖父や父の働く姿を見て育ったからかもしれません。その生き方、商売の仕方を尊敬していますし、そうしていかなければダメだな、と思います。現実には、売上げも大事だし、目標を追わなければならないので、理想論ばかりは言っていられないのですが。ついつい目先の売上げを追いかけがちですが、本質は、お客さまの満足にあると思います。


●接客については、どうお考えですか?
宮本
 お客さまが満足する、というレベルではないと思っています。「お客さまが喜び、感動するレベルまでもっていかなければならない」というのが一番の課題です。
 それと、『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)を読んだのですが、その中に、一律の評価制度について触れていました。職能給ではなく、稼いだ人が稼げない人を助ける、相互扶助というか、そのほうが団結力を強めると書いてありました。そうした評価は、祖父や父がやってきたことなんです。給料を上げるときはみな一律。若干の差はつけるとしてもね。それが正しいかは分かりませんが。そうした評価で成功しているところがあるんです。
 著者の坂本光司氏の講演が札幌であったので、狸小路商店街にも声をかけたのですが、出席したのは僕を含めて2人。どうしてもっと勉強しないのかな、と思いましたね。店の中だけにいても、得られる情報はほんの少ししかないですし、いつも同じような情報しか入ってこないし...。いろいろなところから学ぶことが大切ですね。


●今後の展開について、何か計画はおありですか?
宮本
 まずは既存店の売上げを伸ばし、北海道の地方都市に出店して地方のお客さまにも喜んでもらいたいですね。
 北海道を網羅したら、次は本州か海外ですね。外国で日本の刃物を広めていくのが夢です。日本刀の製法は日本独特で、包丁はそこからきているのです。刃の部分の硬い鋼と、やわらかい地金という2つの違う素材をくっつけるのですが、その技法は日本にしかないのです。水焼きで、一気に温度を下げ、ギュッと締めるので、素晴らしい切れ味なんです。海外にも有名なメーカーはありますが、それらと比べても、日本のほうが優れています。日本の刃物は世界一なんですよ。