機関誌『専門店』ハイライト

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店人いま244

かつては、北関東一の賑わいを見せていた宇都宮のオリオン通り商店街は、当時の面影はなくシャッターが目立つ。郊外にできた大型店の影響は大きい。
そんなオリオン通りの一角に、多目的イベント広場の「オリオンスクエア」ができて、取材当日も朝市が開催され、多くの人で賑わっていた。今回取材した小野社長のお店(レストラン)は、オリオンスクエアの真向かいの2階にあり、お昼時のためか満席状態で大変賑わっていた。そして1階は、宇都宮の名産品を扱うアンテナショップとなっていて、ここにも多くのお客さまが入っていた。この一角から、商店街の賑わいを取り戻して再生を願いたい。
小野社長は、これまで宇都宮市内に、飲食店を年間に2店舗の割合で出店しつづけてきた。出店しては前のお店を人に譲るなどして、現在は8店舗を経営している。特に店内の演出に工夫が見られ、テレビの取材なども受けて話題となっている。
従業員が1人もいない時もあったが
今では宇都宮市内に飲食店を8店舗
ユニークな演出で話題を呼んでいる

小野 真一氏 (有)オノカンパニー(宇都宮会)
05mise-01.JPG                    聞き手 連盟広報部 宇田 弘

朝9時から夜中の3時まで 2年半くらいは休みナシ

●飲食店を数店舗出されていると聞きましたが、何店舗あるのですか。
小野 8店舗です。お店はすべて宇都宮市内にあります。

●ご自身が創業者ですか。
小野 そうです。最初は「プチ・プレリー」をオープンしました。それから「モアイ」をつくって、そこが大繁盛したんです。

05mise-02.JPG●レストランのコックをされていたと聞きましたが・・・。
小野 もともとはフランス料理のコックだったんです。朝9時から夜中の3時まで2年半くらいは休みナシ

●今、おいくつですか。
小野 昭和35年生まれで、今年で50歳になります。自分の店を持ったのは24歳のときです。

●ずいぶん若いときにお店を出したのですね。
小野 ただ料理ができるというだけで、店長の経験もホールの経験もなく、いきなり店を始めましたから、苦労はハンパではなかったです。何が何だか分からなくて、もう雲をつかむような感じで経営をしていました。若気の至りといいますか、無謀でした。

●経営のことは店をやりながら勉強されたのですね。
小野 最初の店は栃木県にはないようなシースルーシャッターのオープンカフェで、評判も良く、お客さまがずいぶん入ったんです。でも、いくらお客さまが入っても採算ベースに乗りませんでした。

●返済計画の読みが甘かったということですか。
05mise-03.JPG小野 甘かったですね。計数管理ができていなかったんですね。バブル期でしたから踊らされちゃいました(笑)。さらに人の使い方も分かっていませんでしたから、入っては辞め、入っては辞めの状態でした。私は職人としてスタートしていますから、職人の世界の厳しいやり方のまま人を使っていたら、当然みんな辞めちゃいますよ。それじゃいけないってことが分かって、店をやりながら少しずつ経験を積んでいきました。2年半ぐらいは休みなしで、朝9時からランチの仕込みを始めて、夜中の3時ごろまでぶっ通しで働きました。

●変わったのはいつごろですか。
小野 2年目ぐらいから徐々に変えていきました。従業員が誰もいない時代があって、そのとき、これじゃいけないって思い知らされましたね。

05mise-05.JPG●店をやめようとは思わなかったんですか。
小野 親からは何回も「やめろ」と言われましたが、自分ではやめようとは思いませんでした。悔しいから、とにかく1年は続けよう、3年は続けようとやってきて、4年目になったとき、徐々にお客さまが増えてきました。
 そのころには、だんだん人の使い方も分かってきました。経営者は自ら身銭を切るわけですから、どうしてもシビアになるし、従業員に対して言うこともきつくなります。そこに「店長」というワンクッションを入れると、言い方も穏やかになりました。今は店長とその上にスーパーバイザーがいて私ですから、ツークッション入っています。
 スーパーバイザーは何店舗かを管轄していて、数字の悪い店があると、そこに入って手直しします。スーパーバイザーが入ってもダメなときは私が出ていきます。

●「モアイ」はどんなお店だったのですか。
小野 「モアイ」は馬鹿当たりしました。開店当初は階段下まで行列ができたんです。店内に滝をつくったり、ジャングルみたいにして、改装費に1億円くらい借り入れました。それを3年で返しました。

●最初に出された「プチ・プレリー」はどうなったんですか。
小野 「モアイ」が当たって、私1人で2店舗は見られなくなりました。そして「プチ・プレリー」の数字はどんどん悪くなって、これじゃダメだってところまでいきました。それで閉めるぐらいなら従業員に任せてみようと思ったんです。
 当時、チーフだった従業員に「独立採算にして、売上げは全部お前にあげるから店をやってみないか?」と言いましたら、彼は喜んで引き受けてくれました。例えば12時閉店だとラストオーダーは11時ごろで、11時半ぐらいにはお客さんを帰しますよね。ところが売上げが自分のものになると思ったら、ラストオーダーなんかとらなくなりますよ。1時でも2時でもやっちゃうんです。要するに自分の報酬、利益になると思ったら重い腰が上がるんです。
 結局、プチ・プレリーは彼に売ってしまいました。その後、また誰かに売ったみたいなんですが、今は誰がやっているのか知りません。

●「モアイ」の成功のあと、どうされたんですか。
小野 年に2店舗ずつオープンさせました。
 「モアイ」の次は「パンドラの箱」という隠れ家的な居酒屋をやりました。それからバブルが終わったあたりで「雪月花」という高級割烹を始めましたが、なかなか受け入れられませんでしたね。最初は良かったんですが、だんだんお客さまが来なくなりまして、これじゃダメだ、居酒屋に変えようって板前たちに言ったら「おれたちはヤキトリを焼きに来たんじゃない」とみんな辞めてしまいました。
 それで違う板前を入れまして、私もコックですから、寿司やヤキトリのタレのつくり方、魚のおろし方、活き作りなど、知り合いの板前に教わって、自分も厨房に入ったんです。最初はおにぎりみたいな寿司をにぎっていましたよ(笑)。

●最初はどんな料理を出していたんですか。
小野 「雪月花」は店内に生けすをつくって、アジや鯛、ヒラメを泳がせました。そしてお客さまがカウンターから魚を釣って、その魚を板前が活き作りにして出すんです。

●店づくりには凝りますね。そういうアイデアはどこで仕入れるんですか。
小野 自分で釣ったら楽しいだろうなと思ってやりました。東京でも最近、そういう店ができてきたみたいですが、うちはもっと前からやっていましたよ。

●それをやめて居酒屋にしたんですか。
小野 割烹だったのを居酒屋にしましたが、生けすはそのままありますから、高級魚は少なくして、アジなんかを1000円ぐらいでやりました。たまに竿が曲がっていて、上げてみたらヒラメや伊勢エビ、鯛がかかっているんです。「それは食えないから外してくれ」って言うお客さまはいっぱいいました。

●でも面白い趣向ですね。
小野 「モアイ」にはショータイムがあって、それが当たりましたね。あのころランバダが流行っていたので、ショータイムには店内を真っ暗にして、着ぐるみのゴリラが3頭ぐらい出てきて踊るんです。ジャングルのイメージでしたからメニューもピラニアやワニ、ダチョウなどがありました。

●ワニっておいしいんですか。
小野 うまいですよ。「モアイ」は日本中のピラニアを使い切ってしまったんです。それで税関に、どこかピラニアを輸入してないか聞いたんです。そしたらコンテナが一つあって、それを全部買い占めました。ピラニアは唐揚げにすると結構うまいですよ。顔がグロテスクでお客さんは怖がりますが・・・(笑)。

●マスコミの取材もあったでしょう。
小野 来ましたね。所ジョージの「ダーツの旅」も来ましたね。
 また、「ルルド」というスターウォーズの店もつくりました。店内に中2階をつくって、吹き抜け天井にブラックライトで光る宇宙を描いてもらったんです。そして料理はヨーダ、ダースベイダーなどのキャラクターが運ぶんです。そこでもショータイムがあってチャンバラをするんです。

●それはプロが出演するんですか。
小野 いいえ、従業員が遊びながらやっています。「ルルド」ではサソリを使ったんですが、それも日本中のサソリを食べ尽くしていなくなってしまいました。しょうがなくて中国に業者を行かせて機内便で持って来てもらいました。サソリも冷凍ものを唐揚げで食べます。川エビみたいでおいしいですよ。
 ワニなんてグロテスクだけれど、だれも食べたことないものですからね。「ワニを食いに行こう」って来ても、気持ち悪いと言って食べない人はいっぱいいました。

「牛角」でFCを学び 狂牛病でも予想以上の売上げ

●ジャンルを問わず、いろんなお店を出されましたね。
小野 「ふわとろ本舗」をつくったときは、お好み焼きの「道頓堀」というお店が独り勝ちしていて、そうはさせたくないって思ったんです。大阪に1カ月ぐらい行ってみましたら、多少味の違いはありましたが、みんな同じに見えたんです。
 これじゃダメだな・・・としばらくお好み焼き屋のことは諦めていたんですが、あるときテレビで神戸の「ふわとろ焼き」が紹介されて、それで神戸に行ってみたら、ほんのちょっとの坪数の店で父ちゃん母ちゃんでやっていたんです。そこに「FC展開しないか」って声を掛けました。
 向こうはFCってどうやるんだろって感覚でしたから、うちで教えました。うちはすでに「牛角」でFC展開していたので、FCで「ふわとろ焼き」を宇都宮に持って来ました。「ふわとろ焼き」って中にホワイトソースが入っているんです。お好み焼きではないんだけれど、お好み焼きなんです。

●「牛角」はFCを勉強するために始められたと聞きましたが・・・。
05mise-06.jpg小野 そうです。今は8店舗ですが、これまでに18店舗ぐらいつくっています。新しくつくると前の店が具合悪くなったり、伸びなくなったりするんですね。どうしてFCはあんなに店舗展開が早いんだろうと不思議でした。これはFCに加盟してみるしかないなと思って、そのとき一番流行っていたのが焼き肉の「牛角」だったので「牛角」にしました。そうしましたら、考えつかないようなことをいっぱいやっていました。
 うちが「牛角」に加盟してオープンしようかというとき、狂牛病の第1頭目がニュースになったんです。1億円くらいかけていたので、どうしようかと思いました。売上目標は1000万円でしたが、これでは600~700万円くらいかなと思っていたら、1200万円ぐらい常に売れました。狂牛病は関係なかったですね。

●何でそんなに売れたんでしょうね。
小野 狂牛病に対して一番敏感になっていたのは30代、40代の主婦です。子どもにもアメリカ産の牛肉は食べさせませんでした。でもうちが相手にした客層は20代前後の若い人で、そんなことを気にしてたら食うものがなくなっちゃうぐらいの感覚でしたから、関係なかったですね(笑)。
 「プチ・プレリー」のとき、パソコンでデータ処理をしようと思って、その当時はまだソフトがなかったので開発してもらったことがあるんです。そうしたら300~400万円ぐらいかかりました。それで出来上がったら会計士が使うような難しいソフトで、私なんかにはまったく分からなくて立ち上げられなかったんです。
  05mise-07.jpgところが「牛角」のFCではソフトが分かりやすいんです。分析シートだけでなく、何から何までね。欲しかったのはコレなんだって思いました。それをパソコンに詳しい知り合いに、私が分かるように改造してもらって、うち独自のソフトをつくりました。

●一番新しいのはここ「プチプレリ」ですか。
小野 そうです。

●ここもお客さがは入っていますよね。満席ですね。
小野 ここは市から借りているので家賃はアパート並みなんです。商工会の方が、うちにやってほしいって来たんです。

●昔は北関東一の賑わいを見せたオリオン通り商店街ですが、今は大分寂しくなってしまいましたね。でも、ここの一角だけ別格ですね。
小野 この前がオリオンスクエアという広場になっているでしょ。よくイベントが行われて人が集まってくるんです。今日も朝市が行われているでしょ。オープンするときは「オリオン通りなんてダメだからやめたほうがいい」って誰もが言いましたよ。

●1階にアンテナショップも入っていますね。
小野 1階は「ロマンチック村」がやっているんです。

●今、8店舗全部で年間売上げはどのくらいですか。
小野 だいたい6億5000万円ぐらいです。
 「リトル・パイレーツ」という小さい店は海賊居酒屋で、最近はコスプレのお客さんが来るんです。従業員はみんな海賊なんです。「パイレーツ・オブ・カリビアン」が流行ったときに始めたんですが、店内にちょっとした海賊船があって、ジャック・スパローがいたりもするんです。

●これからのことですが、夢はありますか。
05mise-04.JPG小野 最終的には上場したいんです。会計士さんに聞くと10億ぐらいあれば上場できるらしいので、上場はしなくてもそのくらいの企業にはしていきたいと思っています。上場すると自分のものでも自分のものではなくってしまうというところもありますがね。ただそれを目的に、雇用もちゃんとした会社にしていきたいと思っています。

●次に出したい店舗はありますか。
小野 今はチャンスですからね。いくらでも話が来ます。うちが狙っているのは居抜き店舗なんです。スケルトンの店舗はお金ばかりかかります。今はそんなの流行らないでしょう。今は、やはり居抜きで全部揃っていて、なおかつ条件の良いところです。それで何でつぶれるのかっていうとやり方ですね。

●今は人材も豊富だと思いますから。いい人が来るのではないですか。
小野 でも、なかなかうちみたいな弱小企業にはいい人は来ないから、今の従業員をいかにいい人に育てるかを考えないとダメなんでしょう。

●いろいろとお話を聞かせていただいてありがとうございました。この一角からオリオン通りが再生し、宇都宮に活気が戻ってくるのを願っています。