機関誌『専門店』ハイライト

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店 人 いま 7月号

ちょっといい物を
これまでに培われた信用で
大切に販売しているお店

大嶋鴻之助氏 みさ伝(十日町会) 聞き手 太田巳津彦

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新潟県十日町市は、上杉謙信が産業振興した織物の街です。江戸時代には麻織物が盛んで、江戸幕府の夏の制服を作っていたそうです。
明治になってからは絹織物が中心となり、昭和の時代には織物の街として栄えました。
近年は呉服の需要低迷によって、産業的には厳しく、中心市街地にも空き店舗が目立ちます。
また、平成16年には中越地震に見舞われ、街は大きな被害を受けました。それでも歴史ある中心商業都市としての面影が中心部には残っていて、昨年から逸品運動に取り組むなど、個店は元気です。
そんな十日町で、陶器の地域一番店を営むのが、「みさ伝」さんです。同店の大嶋会長と根津店長にお話を伺いました。

時代に合わせて業容を変革

 ●もともとは、銭湯をされていたそうですね。
09.07mise-02.JPG大嶋 当社は江戸時代の創業ですが、先代までは銭湯をしておりました。ところが、昭和21年1月に銭湯が焼失してしまいました。どうしようかと考えていましたら、知人から「瀬戸物をやったらどうか」とお誘いを受けて、産地から荷車1台分を送っていただき、販売を始めました。その後、いくつかの瀬戸物産地を教えていただき販売しました。ただ、戦後間もないころで、物資がなかったこともあり、必ずしも順調には進みませんでした。
昭和36年に瀬戸物から建築関係へと、取り扱いを広げました。そのころから建築ブームが始まったこともあり、十日町織物も急成長していましたから、従業員の住宅も増えてきました。そんな折、岐阜県の笠原というご飯茶碗の産地で、ご飯茶碗屋さんがモザイクタイルを作りはじめたんです。これが当たりまして、今では日本一のモザイクタイルの産地になっています。

先代が銭湯をやっていたこともあって、モザイクタイルに興味を持ちました。うちも、そのご飯茶碗屋さんからモザイクタイルを仕入れて、タイルを販売するようになりました。最初はタイルの張り方も分からなかったんですが、左官屋さんを集めて研究しました。モザイクタイルは、昭和30年代後半あたりから売れはじめましたね。
そして、もう1つ当たったのが研ぎ出し流しです。住宅ブームにも乗って、時には1村まとめて受注することもありました。タイル浴槽と併せて、新しい住宅機器のブームに乗れたんです。その後、タイル浴槽からステンレス浴槽まで扱いを広げ、便器なども販売するようになりました。最初は外注していましたが、今では自社工場で製造しています。昭和51年暮れには建材部を独立させて、こちらの店舗は瀬戸物だけのお店にしました。

 

ボランタリーチェーンへの加盟が転機に

 ●事業を多角化されてきたわけですが、それでも陶器店は続けてこられたのですね。

09.07mise-04.JPG大嶋 実は昭和46年に道路拡張がありまして、その際に店舗をやめて建材専門になろうかとも考えましたが、結局お店は残しました。そのころ新潟の本間さんという老舗の陶器店に、うちの社員を手伝いに出したりしてご縁があったこともあり、.日本陶芸チェーンという団体をご紹介いただきました。陶器のボランタリーチェーンなんですが、加盟することで、全国の産地から、現金でなくても仕入れができるようになりました。実は、決済はすべてボランタリーチェーンでしてくれるんです。
おかげさまで、やめずに陶器店を続けてこられました。店の方は、うちの家内を中心にやってきました。県内の特産品をはじめ、銀座の鳩居堂や木屋の刃物など、デパート向けの商品を中心に扱ってきました。十日町にはデパートがなく、長岡まで出かけなければなりませんでした。そこで、デパート商品を取り扱おうということになりまして、仕入先にお願いしました。
たとえば、宮内庁ご用達の深川製磁といった商品が入ってくるようになりました。それから、陶芸チェーンに入れたので、有力問屋からの仕入れができるようになりました。私と家内で展示会や窯元を回って、そのほかは仕入先が来てくれますので、それほど面倒なく瀬戸物屋を続けてこられました。

 

 

 

二割引セールで過去最高の売り上げ

大嶋 去年は会社全体としては、売り上げは落ち込みました。それでも、陶器部門は1割しか減りませんでした。先日も2割引セールをやりましたら、ここ10数年で1番の売り上げを達成しました。


 ●こんな時代に、どんな方が買いに来られたんですか。

大嶋 特に変わったことをしたわけではありません。ただ、セールは年2回しかしていませんので、それが功を奏したのかもしれません。昔から2割引セールをやってきています。以前は高価な商品が売れたんですが、今は実用的なものが売れます。4日間で400万円の売り上げを達成しました。不況で普段は買い物をしないけれど、セールのときは「いいものが安く買える」ということから、お客さまはいらっしゃるんじゃないでしょうか。
また、ご近所で評判になったようですが、初日の開店前には店の前に20~30人ぐらいの人が並びました。産地から掘り出し物が出ますので、それを狙って朝からいらっしゃるんです。

 

商圏を拡大して客数増を図る

 ●その、「いいものが買える」ということが、お客さまに浸透しているんでしょうね。
大嶋 着実に客数が増えています。ここ数年は新聞に記事中広告を出して、広域からのお客さまを狙っています。十日町新聞は5日置き、十日町タイムズは月3回、それから六日町や小出町の地元紙にも広告を出しています。
広告を載せ始めて二年になりますが、これで客数が増え、商圏も広げることができました。お客さまに、瀬戸物屋としての価値が認められてきたんじゃないでしょうか。瀬戸物の売り場としては、長岡のデパートにも負けていません。また、これだけの品揃えをしているお店はないと思います。こうした自信があったので、商圏を広げて客数を増やそうとしたわけです。


 ●ある意味では、瀬戸物のお店が淘汰されたということでしょうか。
大嶋 瀬戸物は、デパートでも一番落ち込みの激しい売り場です。でも、100円ショップやホームセンターでは、うちのような品揃えはありません。それから、これは専門店会をやってきて感じるんですが、十日町は織物の街としての歴史があり、住んでいる方の文化レベルが高いことも、瀬戸物が売れる要因の1つだと思います。
1ランク上の食器を使うところが十日町だと思います。うちは、「ちょっといいもの」を取り扱ってきたので、生き残れているんだと思います。先生の逸品のお話を聞いたときに、「そう言えば、うちは逸品をやってきたな」と思いました。

 

積み重ねた信用と多くのファンに支えられて

 ●そもそも逸品の目的には、お店のイメージを上げるということがあります。
大嶋 この辺にも瀬戸物屋さんはありますが、これだけの催事をやれるお店はありません。うちの駐車場は七台停められるんですが、セールの4日間は常に満車でした。たぶん、湯沢、小出町、長岡、新潟、高崎あたりからも、定期的にお客さまがいらっしゃっていると思います。これは、大変ありがたいことで、十日町高校の歴代校長先生の奥さまの間では、「食器を買うならみさ伝」と言い伝えられているらしいです。多くの方に、当店のファンになっていただいています。
また、固定客づくりということでは、「みさ伝友の会」という組織を作っています。これは、月々1000円積み立てていただきますと、1年間で1万3000円分のプリペイドカードとお引き換えさせていただいています。そのほかにも、10%割引や催事のご案内など、さまざまな特典をお付けした制度です。現在の会員数は、500名ほどおります。


 ●長年にわたって、信用を築き上げられてきたおかげでしょうね。
大嶋 日専連に入ったことで勉強ができましたし、全国を見ることができました。店づくりにも参考になりました。また、ノリタケや保谷ガラスさんといったメーカーも、年に数回研修会を行ってくれます。内容は、オーナー研修からpopの作成まで幅広いです。

 

広さと品揃えに自信あり

 ●お店としての特徴はどんなところでしょうか。
大嶋 うちの特徴は売り場が広いことと、品揃えの多いことだと思います。先代からは、「1階はすべ 09.07mise-03.JPGて売り場にしろ」と教えられていたので、十日町で一番広いお店になっています。また、品揃えについても瀬戸物にこだわらず、良い商品や逸品を集めてきました。たとえば、今うちでは鮭の冷凍も扱っています。
 ●仕入れは、どのようにされていますか。
09.07mise-05.JPG大嶋 家内が中心に仕入をしています。家内の仕入れは、陶芸チェーンでも有名なんですが、思い切ってポンポン仕入れてきます。それぐらいの仕入れをしないと、多くの仕入先を相手にできないですから当たり前なんです。従業員だと、「これは売れる」と思っても、確信が持てないと仕入れられません。でも、家族だと思い切ってできてしまいます。
1月と6月に、名古屋と東京で展示即売会がありますので、そういうところに出かけていきます。あとは陶芸チェーンに入っているので、電話で注文できます。

 

お茶の販売にも取り組む

 ●お店では、お茶やコーヒーも販売されていますね。
09.07mise-08.JPG大嶋 ある勉強会で売り場の見直しをしたんですが、そのときお客さまの滞留時間が長くなるというので、お茶屋さんをやりたいと思いました。お茶屋さんから瀬戸物屋さんになる店は多いんですが、瀬戸物屋でお茶をやり始めたところはありませんでした。コンサルタントからは、「お茶は賞味期限があるのでやめなさい」と止められましたが、やりました。
伊藤園さんに電話したところ、先方が市場調査をされてkoが出ました。昭和59年にお茶の取り扱いを始めました。これをきっかけに、食品ギフトも扱えるようになりました。家内は、1日中お茶出しをしています。十日町ではお茶屋さんがなくなっていたんですが、うちがやり始めてから、お茶屋さんが1軒復活しました。


 ●お茶を扱い始めて、お客さまに変化はありましたか。
大嶋 毎日ご来店されるお客さまができました。固定客づくりには役立っています。お客さまから、お花やお菓子をいただくことも多くなり、お客さまとのご縁が深まりました。また、中元やお歳暮をはじめ、ギフトの売り上げも増えました。

 

震災で知った仲間のありがたさ

 ●平成16年の地震では、大変な思いをされたんでしょうね。
大嶋 どうにもならなかったです。小売金額で3000万円ぐらいはやられました。幸いお店は倒壊はしませんでしたが、梁が裂けたり店内は大きく破損しました。当店は、店頭部分が明治時代、店中央が昭和30年代、店奥が昭和40年代の建物なので、震災後は柱を太くしたり鉄の柱にしたりと、耐震補強をしました。
でもありがたかったのは、陶芸チェーンのメンバーから義援金をいただいたり、協力商社から支援物資をいただいたことです。電話が通じるようになって最初の電話が、ある産地の会長さんからの「元気か。いつ商品を送ろうか」でした。これで、「支援してくれる人がいるんだ」と気づきまして、元気になりました。
実際、震災直後は、車内や店内で1週間くらい寝泊りしました。私も店内に寝泊まりしていました。本当に、仲間からの応援に元気づけられました。店は2カ月くらい休んだんですが、商品を融通していただいたおかげで、売り出しができたこともあり、売り上げは前年比を上回りました。私どものような小さなお店は、グループに入ることが必要なんですね。たとえば、日専連に入っていることで、勉強ができたり、逸品運動がやれるんですから。

 

予想以上の手ごたえだった逸品

  09.07mise-09.jpg●根津店長さん、逸品について教えてください。
根津 うちの逸品はグレステンの包丁です。1万円以上する商品なので、それほど売れるとは予想していなかったんですが、期間中10本以上売れました。


 ●なぜ、逸品が売れたと思われますか。
根津 この商品は十日町のメーカーが作っています。グレステンの知名度は高くて、十日町の製品ということを分かっている人が多いんですが、グレステンの包丁を売っているところが少ないんです。
当初は値段が高いので悩んだんですが、やはり逸品にするからには「良いモノをおすすめしたい」と考えました。それから、時期も良かったと思います。
逸品フェアは11月から1月まででしたが、正月に包丁はよく売れるんです。包丁を見に来られたお客さまに、積極的に逸品をおすすめしたことがよかったと思います。
値段は通常の包丁の2~3倍なんですが、包丁は長く使っていただくものなので、良い商品をということでおすすめしました。


 ●これからの抱負をお聞かせください。
大嶋 これまでは、時代の流れに合わせてやってきましたが、これからは、ちょっといいものを大切に売っていくお店にしたいですね。このところ、耐震工事が出始めていますので、そのあたりも狙いたいですね。
日専連のメンバーであったことが、大いにプラスになりました。私自身、青年部長、理事長などをさせていただき、各地で行われた全国大会にも行きました。あちこち見ることができたので、視野が広がりました。
瀬戸物屋というのは視野の狭い商売なんですが、日専連に入っていたおかげで、こうやって生き残れたんだと思います。
 ●ありがとうございました。