機関誌『専門店』ハイライト
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店人いま 2月号
消費者指向を第一にする
株式会社日本橋マツオカ
代表取締役
松岡薫 氏
いま東京駅が大改革進行中である。それに伴い、商業施設も拡充。駅ナカビジネスは一大ショッピングゾーンとして出現している。
今回お訪ねしたマツオカは、日本橋からスタートし、東京駅一番街に出店している老舗。立地も最高だ。東京駅を東西に貫く長い商業施設の中にあり、地下鉄丸の内線と丸の内ビジネス街へと通じる通路の角地にお店を構える。
店頭を通過する人数は、一日数万人というものの、立地条件だけでは繁盛店にはなれない。高級感ある店舗と、洗練された商品に魅せられて入店すると、なんと、手ごろな価格なのだ。これに上質な接客がつくのだから、うれしい。
松岡社長は、日専連東京中央専門店会の理事長であり、日本橋中央大通会の会長のほかにも、多くの要職を務められている。
松岡社長からは、「消費者指向第一」という力強いお話を伺った。
江戸時代からの商業発祥地 日本橋の心意気
ーご創業は。
大正12年の関東大震災後にまもなく、オヤジが名古屋から出てきて日本橋で奉公をしていたんです。そのころの状況を見ていると、将来の日本は洋装になりそうだと。そこで、毛皮などの洋装とアクセサリーを取り扱いました。それが当たって、「よし、それなら外貨を稼いでやろう」ということで、単身、台湾や朝鮮や満洲に売りに行ったんですね。戦前は、小売業ではなく、婦人服飾の卸をしていました。台湾は景気がよくて、儲かりました。私はここ日本橋で生まれましたが、小学校2年生の時に品川に移り、その屋敷は450坪、部屋数は13もあって、テニスコートやプールもありました。女中が4人いて、奥座敷担当と下働きと子どもの教育係と分かれていました。
ーずいぶん恵まれた暮らしだったんですね
台湾で成功したので気をよくしたんでしょうね。今度はアメリカと貿易をしようと、サンフランシスコの博覧会に出品するためにオヤジは貨物船でアメリカに出かけて行きました。戦前ですよ。行って分かったのが、経済の格差が歴然として、全然話にならなかったと聞きました。仕事はダメだったけど、お土産にグレープフルーツを1箱買ってきてくれて、なんて美味しい果物だろうと感激したのを覚えています。グレープフルーツなんて、八百屋も知らない時代でした。
ーお父さまは先見の明がおありだったのですね。
そういう点では、オヤジの真似をしようと思っています。オヤジは街の消費者が何を望んでいるかを素早く動物的な勘で吸収するんです。これは小売業に絶対に必要で、大切なことですね。
ーその通りです。そのころの日本橋は、どのような賑わいだったのでしょうか。
日本橋は、405年続く江戸の商業発祥の地です。銀座は海外ブランドが出て老舗が少なくなってしまいましたが、日本橋は歴史のある老舗がいっぱい活躍しています。われわれ商人にとって日本橋という地名は、銀座よりも重いわけです。100軒近い老舗が軒を連ねていました。
ー全国から人々が集まってきて、流行の発信地でもあったのでしょうね。
ところが、鉄道が日本中につながって、全国の会社がここに本社を置いて、どんどんビル化され、地上げに合って、お店が少なくなってしまいました。今は30軒ほどになってしまいました。それでも、ウチと同様にここに本社を構えて駅ビルにお店を持っている方がいっぱいいます。
マツオカのネクタイは会社員出世の糸口
ー社長がお継ぎになったのはいつごろですか。
私は昭和29年に学校を卒業しました。そのころは就職難で、「お前はウチで働け」ということで、東京駅の駅ビルの店長がスタートです。最初のころは婦人洋品も紳士洋品も子ども服も扱っていて、それは飛ぶように売れました。ところが、消費者の要求がだんだん多様化、個性化、高級化していきましたから、そこで徐々にメンズに絞っていきました。
ー当時の東京の駅ビルといえば、最先端だったのでしょうね。
世界新記録と自分で言っていますが、クリスマスには一日でネクタイが443本売れたんですよ。たった15坪のお店で。マツオカのネクタイを締めなければ出世しないと世間で言われていたそうです。
ーオメガの時計とダンヒルのライターとマツオカさんのネクタイがサラリーマンの
三種の神器という感じで。
どうしてかというと、当時、中村武志という作家の「目白三平」というサラリーマン小説があったんです。目白三平は国鉄のサラリーマンという設定で、日本橋マツオカのネクタイコンクールに投票したら1万円の商品券が当たったという小説がベストセラーになりました。給料が1万円くらいの時代に1万円の商品券ですよ。
笠智衆が目白三平、妻が望月優子で映画化されて、私もロケを手伝いました。
ーこの変わったネクタイは何でしょうか。
これは特許のネクタイで、スナップタイと言います。スナップでパチンと止める簡易型のネクタイです。葬儀があった時など、ポケットにこのスナップの黒いネクタイを入れておいて、お寺の前で付け替えるという便利なものです。買っていただいたネクタイを加工するんですが、当時は加工賃が1000円だったかな。サラリーマンはみんなやってくれましたけど。今は、加工賃も上がってしまったし、買ったネクタイにもう一度お金をかけるようなことはしなくなりましたね。
消費者の志向に応じ高級路線を変更
ー最近は、街の消費者は何を望んでいるのでしょうか。
紳士洋品小売業の基本は、セレクション、コレクション、クリエーションですが、それだけではダメなんですよ。店の内外装も重要です。例えば、このウインドーはいい感じがするでしょ。鉄の格子が入っていて高級感を出しているんです。設計家が優れているんです。もちろん施工費も高いですが、それは仕方がないと思っています。こういう器に置けば、モノもよく見えるじゃないですか。
ー店舗デザインは、お店の顔ですからね。
もう一つ消費者が望んでいるのは、高品質低価格、そしてファッション性です。この店はそれを目指しています。
ー業態を変えたということでしょうか。
変えました。マツオカは高級だと思われていましたが、今は違います。ちょっとカジュアルなファッション性。例えば、皮ジャンも8万円〜9万円したものが、今は3万5000円〜4万円のものがすごく売れています。これからの時代は高品質低価格です。メーカーと一緒になって共同開発し、実験的にやってみたんです。
ーそうしたらみるみる成績が上がったのですか?
ランバンだとかバーバリーを買いたかったら、銀座のブランドショップへ行きますよ。高級品は、いろんな種類と豊富なサイズの中から、自分にピッタリなものを買いたいわけですから。ウチが置くと品数が少なくなってしまって要望に応えきれません。
ー在庫も大変ですしね。
貴重な資本を寝かすというのはこの時代に相応しくない。多くは中国製ですが、作っているうちに、あちらもどんどん腕が上がってうまくなってくる。それでいい商品になっていくんです。
ー今まで高級品で売っていらしたわけですから、業界も驚かれたでしょうね。
いくら良い商品が置いてあっても、売れなければなんにもならない。「売れタラ・売れレバ」じゃダメ。「安物を売って」なんて言う人もいますが、同業者に認めてもらわなくてもいい。この店の前を数万人が通るわけですから、そのお客さまに認めてもらえればいい。みんなと一緒ではやっていけません。ですから。ウチが置くと品数が少なくなってしまって要望に応えきれません。
ー同業者よりお客さまが大事だとおっしゃる視点がすばらしい。
以前は地方の駅ビルに17店も出していたんですよ。バブルがはじけた時に、ほとんど撤退しました。駅ビルの社長さんから、「マツオカさんが抜けたら格好がつかない。家賃を半分にするからいてくれ」と言われました。それでも断ると、今度は「商店会費もいらないから」と。そこまで言われると留まる人が多いけれど、断固撤退しました。
いつかよくなると思っていた人はみんなダメになりました。最後は退店の時に保証金が戻ってこないで、銀行はすぐに返せとなる。貸し渋りとか貸し剥がしとか言いますが、借りたら返すのが当たり前。保証金が返ってこないから銀行に返せないんじゃ、理由になりませんよ。みんな潰れちゃった。ウチは退店が早かったから残りましたが・・・。
ー機を見るのがお父さま譲りで。
動物的勘というのがね。経済新聞だけ読んでいてもダメなんですよ。消費者の動向、この街の動向、この街で何をしたいかをもっと考えなければダメ。シャッター通りでもやり方はあるのに、昔いい思いをした経営者ほど、決断ができないから切り替えられないんですよ。
いつの時代でも品質・価格・接客が基本
ー社員のみなさまのインセンティブはどうしていらっしゃるんですか。
売上の何パーセントをあげると約束しています。その配分は、責任者の店長に任せてあります。私もまったくタッチしない。チームの中で一番大事な人たちが気心をそろえてやっているのだから。そういう配分をするとみんな一生懸命になる。商工会議所の経営指導員が「成果配分を会社がタッチしないのは素晴らしい」と言っていました。
ーいい社員に恵まれて、その方々を信頼していらっしゃる。
そういう関係がすごく大事ですよ。会社が大変だとかは無関係です。会社がどうなろうと、約束通りに払う。もちろん現金で。
ーそれは、だいぶ前からおやりになっているのですか。
2年前からです。接客のプロはいろいろな評価をするけれど、お客さんがどう感じるかです。それは価格と品質と接客です。
ー固定客もたくさんいらっしゃるんでしょうね。
東京駅は全国に鉄道がつながっていますから、市町村の議員が霞ケ関での会議の行き帰りに寄ってくださいます。全国会議より、この店に寄るのが楽しみだと。
ー業態は変わっても、老舗のポリシーがおありになるからでしょうね。
いつの時代でも消費者の需要の変化をしっかり把握していれば、月日が経つうちに、いつの間にか消費者が老舗という名前をくれるんです。「ウチは老舗」なんて本人が言う言葉じゃないんですよ。
長い間には戦争もありました。震災もありました。何もなくなってどうしたらいいかという時に、今ウチでやれることは何かということをやったから続いてきました。それは消費者のためを考えたということです。それを無視したら老舗なんて潰れてしまいますから。
例えば、親しいお菓子屋さんが、大きな和菓子を作っているんですね。そのお菓子屋さんのファンも年をとってしまって、糖は多いしカロリーは高いし食べ切れない。だから小さくしなさいよと提言しました。
ー人のことは分かっても自分ではできないというのが一般的ですよね。
どうしてできないんでしょうか。
昔、いい思いをいっぱいしているからですよ。景気のよい時には贈答品が山ほど売れた。企業が浪費してくれた。これが経営者には楽しくてしょうがなかった。それは、実力以上のものだったわけです。私は個人のお客さんを大切にしなければならないと思いますよ。
ー専門店はやり方次第でどのようにでも転換できますよね。
今日まで残っていたというのは、潜在経営能力がある人なんだから。勇気を出して決意と決断で変えてくださいと。そうしたら、長い間ついていたお客さまがまた戻ってきますよ。
ー日専連には早くからお入りになっていたそうですね。
40代でした。とてつもなくいい時代に入りましたからね。いろんな先生方の話を聞いていて、感動しましたね。1週間、箱根にこもって勉強もしましたよ。本当に商人に生まれてよかったと思いました。
ーしかし、時代はどんどん変化している。
特にメンズはネットでも買えますし、主婦は近所の大型店で需要が賄えます。プレステージの高い商品は百貨店じゃなくて、もっと専門的なブランドビルに向かいます。小さな専門店は高級品を扱ってもダメだと思います。
ー三代目はいかがですか。
息子は銀行に勤めていて、幹部ですから、「遺言にìやれ狽ニ書いてあったらオヤジの収入がもらえるから銀行を辞めて来るよ」と言っています。「今は俺の給料は出ない」と。決算書を見れば分かりますから。
ーでは後継者の心配はいらないということですね。長時間ありがとうございました。
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