気仙沼の復興と震災の爪痕04月27日UP
気仙沼と南三陸の今!
気仙沼の震災前の人口は74,000人でしたが、震災で4,000人以上人口が減ってしまいました。瓦礫の撤去は進んでいるようですが、1年が経過しても港の周辺は鉄筋の建物が少し残ったまま、見渡す限り跡形もなく荒野と化したままでした。気仙沼港から1キロ以上離れた場所に巨大な船が残されたままになっています。まさに、ありえない光景です、そのときの状況は想像するに堪えません。南三陸にも行きましたが、そこも目を覆う悲惨な状況のままでした。
そんな中でも、商人はしっかりと根を生やしていました。気仙沼復興商店街「南町紫市場」は、昨年12月にオープンしました。2階建てのプレハブ7棟に52店舗が出店し、観光客も訪れて大変賑わっているようです。ここに至るまでには並々ならないご苦労があったことと思いますが、「南町紫市場」の理事長の村上力男さんの温かいお人柄と、強いリーダーシップによりなしえたことだと思います。
また、被災されて同市場に出店されている日専連仙台の組合員の「萬屋」の小山たか子さんにもお話を伺いました。驚くことにお店は震災で営業ができなくなっても社員を一人も解雇せず、お給料を出し続け、さらにボーナスまで支給されたそうです。店の泥出しには、昔いた社員さんや常連のお客様までが手伝いに来てくれたそうです。「萬屋」の社風には心から感動いたしました。
このたびの震災は、日本人として決して忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事です。そして、今回取材させていただいた村上理事長と小山さんには、人をひきつけ、人を動かす力を持っておられました。村上理事は周りからの人望があり強いリーダーシップ持っておられます。そして、小山さんには周りをやさしく包み込む日本人が持つ(持っていた?)和心を感じました。
この「南町紫市場」と日専連仙台の組合員の「萬屋」の詳細は機関誌5・6月号および本HPの「『専門店』ハイライト」に掲載していますので、ぜひご覧ください。
以下に、「南町紫市場」のようすと、震災から1年以上たった気仙沼と南三陸の現在の状況を掲載させていただきました。
「南町紫市場」のすぐ隣のビルは崩れたままになっています。上の写真のブティックのオーナーは独立して新しい店を出店してすぐに被災されてしましました。
気仙沼はサメがたくさん取れるそうで、珍しいサメ専門店も出店されていました。サメ皮で作られたバッグや財布なども販売されていました。
この店のカキフライをいただいたが"さすが気仙沼"で、カキの粒がとても大きくジューシーでおいしかったです。
上は、「南町紫市場」の理事長を務める村上力男さん。お寿司屋「あさひ鮨」のオーナー。人望があり、村上さんのもとにはたくさんの若い人たちが慕って集まってきます。村上理事長のリーダーシップは素晴らしいです !
村上理事長の息子 さんが書かれたコミックです。「あさひ鮨」を題材にして書かれているそうです。
上の婦人服店の写真は、日専連仙台の組合店「萬屋」の経営するブティック「メルシ」です。オーナーの奥様が店長を務めています。震災にあっても社員を解雇することなく、社員さんをとても大事にされています。
気仙沼港から1キロ以上離れたところまで、このような巨大な船が津波で流されてきました。 まさに、ありえない光景です。
この船を、震災のモニュメントとして残すか議論されています。風化させずに残すべきという方と、思い出したくもないという方がおられるそうです。
車が建物の屋上に・・・・ 南三陸町の今!
南三陸町の防災センターと総合病院
この防災センターの20代の女子職員が、最後まで防災無線で「高台に避難してください」という呼びかけをつづけ、最後にはご自身も津波にのまれて殉職されてしまいました。
しかし、この緊迫した呼びかけで多くの方の命が救われました。まさに「命の呼びかけ」です。
防災センターには、今も千羽鶴や花が添えられていました。
また、そばにある総合病院の津波にのまれ、ベットごと流された方々がたくさんいらっしゃったそうです。




